08:降り続ける雪

「んーーっ!!」

リエナは勢いよく部屋に放り投げられていた。乾いた木々が彼女の肌にささる。
その部屋は、昨日皆で見たあの湖の小屋の一室だ。
両手足は縛られ、口も布で塞がれている状態の彼女は必死に抵抗した。
リエナがドアを開けた時、彼は子供たちが見つかったと湖まで彼女を誘ったのだった。

「!」

周りを見渡せば、小屋の中にはあの行方不明だった3人がある意味彼の言うとおりそこにいて座っていた。
だが、彼らはリエナとは違い縛られてもいないし、近くにはパンも置かれている。
彼らの表情も驚きを隠せず目が丸い。

「こ、校長先生?リエナ姉ちゃんがどうしてっ…」
「これ、実習なんですよね先生、そうでしょ?」

「あぁ、君たちは少しこの小屋から出ていなさい。今から悪い人を説教するからね」

ヘルマンはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべていたが、
目は笑っていはいなかった。



「理恵奈!!」

レオはドアを勢いよく開くが、中にあったのは丁寧に折りたたまれたロズベルトのコートだけだった。

「レオ!」

同じく、家まで駆けてきたロズベルト。レオはすかさず詰め寄った。

「ロズ、どうして君がここにいるんだ何故彼女を一人にさせた!」
「……すまない」
「そんな事より今は早くリエナさんを探さなければ!そうでしょう!?」

冷静なのか、混乱しているのか、クローヴェルは二人の間に割り込んだ。

「どこにいるんでしょう」
「きっとあの湖の小屋だ、子供たちもきっとそこにいる。誘拐した場所も、拉致しているのも同じ場所だったんだ、だから気づかれない」

冷静を取り戻しながらロズベルトは話すが、レオはすぐに踵を返した。

「レオ刑事!」

後を追うクローヴェルと共にかけながら、ロズベルトは一抹の不安を覚えた。
彼は一度冷静を欠いてしまうと戻るまでに時間がかかる人だからだ。
あの事件の日が、そうだったから。



「何故こんなことになったのか……君は知らないだろうね」

視線を合わせるようにかがんで、ヘルマンは表情を崩さない。

「……………」

子供たちはそそくさと小屋を後にし、二人だけになっていた。
リエナは後ろで縛っている両腕を静かにこすりあわせながら話を聞いている。

「私の苗字はハイルナーだ」
「……」
「そう、ジュード神父の事は知っているだろう?彼は私の兄だ」

驚きを見せた彼女の瞳に喜んだのか、彼は続ける。

「とても優しい人だったことはずっと生活していたから君も知っているだろう?あの当時、あんな子供たちを
 かくまう施設なんてあそこしかなかったからね。私も最初は反対だったよ……育てたところで、何も返らないし意味はないとね」
「………」
「でも兄は見返りが問題じゃない、彼らがどう生きていくのかを見るのが私の誇りだと言って、私の話など聞きはしなかった……
 本当馬鹿な兄さんだったよ。だが」
「……」
「…久しく訪れた教会にいた時に出会った女性と出会い、私も少しずつ、彼女たちの境遇や教会のある意味に納得していった」
「………」
「そう、私の妻も。君のお父さんと同じ決していい身分ではない職業の女性だ。
 名前は、キャサリン。あの事件の4番目の犠牲者だよ。私の最初の子供も失った」
「……………」

リエナは静かに、後ろのポケットから銀色のものを取り出した。
それは、先ほどロズベルトのコートの中にあったメスだった。

「君のお父さんは……レオは兄に必ず事件を解決させると約束をしてくれていた。
 私は愚かにも、悲しさを紛らわせるために仕事に没頭していたから彼に会おうとはしなかったが……
 しかし彼は、約束の代わりに兄を撃ち殺したんだ」
「っ、ーー!」

リエナは必死に首を横に振るが、その真意が彼に伝わることは無い。

「彼は犯人を兄だと勘違いし、殺した。そしてその後すぐにそれは誤射だと発表され、彼の妻を最後に、
 事件も、捜査もすべて打ち切りになったのだ」
「………」
「最初は許そうとしたさ、彼も最愛の妻を亡くしたんだ。いい気味だと思ったがね 。
 だが、事件後彼は突然いなくなった。私たちに何も告げず、こつ然と……」

彼の表情から、徐々に笑みが消えていく。

「兄がいなくなった後、教会の子供たちがどうなったのか、君は知っているかい?」
「………」
「支援金も、唯一の保護者だった彼も何もかもを失った教会は取り壊された」
「っ」
「私は何とか建て直そうと、兄の夢を失くさないようにほんの少しのお金でもいい、国に申し立てた。しかし……」



「御願いです、市長。せめて彼らが自立できる年になるまでは育ててあげたいんです」

早足で議院の廊下を歩く市長を前に、嘆願書を持ちながらヘルマンは必死に懇願した。

「それなら、他の院か里親を見つければいいだろう」
「この国の一体どこに売春婦の子供を預かる院や里親があると思うのですか、
 あの教会だけが、あの場所だけが唯一の彼らの居場所なんです、」
「既にあの町の投票で決まったことだ。どうにもならん」
「そんな、」
「それに」

薄笑いを浮かべた市長は、自室の扉を開きながらヘルマンを見下げた。

「元々、生まれる意味の無かった子供たちだ。居場所なんて最初からないだろう?」
「市長………」

パタンと、扉が閉まる。
ヘルマンは力なく嘆願書を持った手は落ちるが、
徐々に紙を握りしめた拳は力強く震えだした。



「あいつは逃げたんだ、何もかもから!」
「っ……」
「あの後の子供たちがどうなったのか、どんな酷い生活をしているのか、あの川にどういう思いで身を投げたのか!わからないだろう!」

と、彼が胸ポケットから出した写真には、あの少年が……昔、ジャックが頭をなでていたあの少年が映っていた。

「………」
「最愛の妻や子供を失い、兄の誇りや夢も奪い去って逃げた彼を許す事なんてできない。
 それでも2番目の子供の為に、私は忘れようと最後にあの場所から引っ越した。
 だがあいつはやってきた!何も知らない顔で!これ以上の仕打ちがあるものか!」
「………」
「……これ以上の仕打ちが……だから同じ思いを味あわせてやる」
「……」

リエナはそっと目を伏せ、静かに握りしめていたメスをしまったのだった。



「ダメだ、この湖を渡らないとあの小屋までいけません!」

3人はすでに、湖の前まで来ていた。
しかし、たった一つあった小舟は彼が使ったのであろう、対岸にある。

「……凍り始めてる」

ロズベルトは、あたり一面の湖が端から徐々に白くなっていくのに気づいた。
一度凍り始めれば、徐々にそのスピードは速くなる。

「凍るまで待てって言いたいのかな」
「いや、最悪のケースを考えているんだよ、凍る前に底に沈めたら、次に会えるのは数か月後だからね。」
「っ、」

と、上着を脱ぎ冷たい湖へ飛び込んだのは他の誰でもない、クローヴェルだった。

「クローヴェル君!?何をっ」

ロズベルトは叫んだが、驚くことに彼の泳ぐスピードは速かった。
日ごろから訓練でもしていたのだろうか。

「レオおじさんっ!」

二人が呆気にとられていると、背後で子供たちが駆けつけてきた。
先ほどの3人だ。

「君たちどうしてここに、」
「リエナ姉ちゃんが危ないんだ!」
「あの湖までいける秘密の道知ってるよおじさん!」
「よし、今すぐに案内してくれ!」

二人も、子供たちの後を追って走り出した。



「泣かないで、リエナさん」

カチャと、錘をつけた鎖を彼女の足に巻いたヘルマンは、やや哀れげに彼女を見た。
リエナは、ただ小刻みに震えるだけだ。

「貴方はとてもいい人だ。子供たちの為に、あそこまで頑張ってくれる人間なんてもういない。
 あんな父親をもって、本当に可哀そうだと思うよ」
「………」
「大丈夫、あっという間だから。私の大切な人たちと同じだよ」

彼は最後に、彼女の口元の布をほどいた。

「………許してくれないのは、わかってます」

ゆっくりと彼女は震える声で話した。

「でも……貴方みたいな人が、あの殺人犯と同じような事をしたら、ダメです……」
「………」
「……同じ過ちを繰り返しては、ダメです…」
「……残念だね」

彼は話を終わらせ、彼女を立ちあがらせようとした

その時、

ガシャンッ

『!?』

窓が大きく蹴破られ、勢いそのまま誰かがヘルマンを蹴り飛ばした。

「ぐあっ……!?」

ヘルマンは、そのまま床に倒れこむ。

「リエナさん!!」
「クローヴェルさ…ん?」

急いで彼女の元へやってきたのは、全身ずぶ濡れのクローヴェルだった。
彼は縛られている彼女の紐をほどき始める。

「どうし…その身体、貴方もしかしてあの湖に」
「いえ、レオ刑事が助けに行けと蹴り飛ばしたものですから」

「………っ」

意識を取り戻したヘルマンは、ゆっくりと、割れたガラスの破片に手を伸ばした。

「嘘!こんな、ずぶ濡れて……ごめんなさい、本当ごめんなさい、」
「人の心配はしないで、貴方は貴方の心配をして下さい」
「え?」

ザッ

『!』

瞬間、クローヴェルの背後に大きなガラス片を手に持ったヘルマンが立ちあがった。

「っ」

クローヴェルはリエナを抱きしめる。
ヘルマンは、その手を振りかざそうとした。

「………え」

だが、しばらく経っても背中に鋭い痛みが走らないので、
クローヴェル達はゆっくりと瞳を開けた。

「……クローヴェル君、後で私の診察に来てくれないかな、強制だよ」
「……ロ、ロズベルトさん」

いつの間にドアを開けて入ったのか、ヘルマンの腕を背後でつかんでいたのはロズベルトだった。
ギリギリと、ヘルマンの腕に爪が食い込むほど握りしめる手の力は強い。

「でもその前に……貴方が彼女に何をしたのか、訊きましょうか」
「うあっ」

一瞬の間に、彼はヘルマンの体勢を崩し馬乗りになった状態で片手で彼の首をしめ、
もう片方の手で彼が持っていたガラス片を首に振りかざそうとした。

「ロズ止めて!!」

しかし、首元に触れるか触れないかの間で、リエナの叫び声が動きを制した。

「……止めて……御願い。もう、止めて」
「リエナさん……」
「………」

ロズベルトは不服な様子だったが、ゆっくりと立ち上がりガラス片を床に捨てた。
その後、キィと音を立てゆっくりと扉が開かれた先にいたのはレオだった。

「………っ」

彼の姿を見て、唇をかみしめたヘルマンはすかさず立ち上がりレオの顔を殴った。

「おいっ、」
ロズベルトは彼の元へ行こうとしたが、服の袖をリエナに掴まれる。
「リエナ……」
「ダメよロズ……」

「これは……二人の問題なの。二人だけでしか……解決できないの」



「どうして、見殺しにしたっ!何故だっ!」

ヘルマンは、レオを外へ追い出し力の限り彼を殴り続けた。しかしレオはそれを阻む事も無く、拳を受け続けている。
はらはらと、白い雪が二人の間に降り始めていた。

「何故犯人が見つからない、何故、妻が、子供が子供たちだけがっ」
「……………」
「どうして打ち切りにさせた、教会が無くなると知ってて来なかったんだ!」
「……………」
「今までの中で少しでも、彼らを思ったことはあったのか、答えろ!」

やがて、レオは湖の目の前で倒れこんだ。ヘルマンの体力も限界に近づいていたが、
それでも思いはとめどなく溢れ、レオの首をしめあげる。

「ハァ……何故だ……何故、何も答えない」
「……………」
「さぁ、口答えするんだ……言い訳を吐け」
「………」
「吐くんだ………必死に言い訳してくれよ……」

わかっているんだ、あんたが本当は警察のトップに捜査の打ち切りを撤回させようとしたことぐらいなんて。
打ち切る代わりに立場を上げてやると言われて自ら左遷したんだろう、教会のことだって、
あんたは私より前に市長の元へ行っていたのも知ってる。
私の家にも来てくれたのだろう、だが私はすでにそこから離れていた。
でも、あんたは毎日、毎日私の家に訪れていたって、聞いていたさ……
全部、知っていたさ……
だから、その口で言い訳してくれよ、じゃないと……じゃないと、

「………っ」

私のこの怒りは、どこへも向けられない。
虚しいだけじゃないか …

「……君なら、助けられたかもしれない」
「………」
「君なら………子供たちもっ…全員……なのに何故…… 」

「お父さん…?」

ハッと振り返れば、木々の間で様子を見ていたのはアーサーだった。
まだ幼い彼は、状況がつかめないまま、ヘルマンの元へ走って行く。

「お父さん……っ、ダメだよレオおじさんが痛くなるよ」
「アーサー、どうして」

アーサーはあざだらけのレオを見て、その傷を負わせたのがヘルマンだとわかり
必死にレオに向かって言った。

「レオおじさん、ごめんなさい!ごめんなさい、お父さんは悪くないよ。
 お父さんは、お父さんは悪くないよっ。悪いのはぼくだから、」
「アーサー…」
「ぼくがずっとお母さんがいないって泣いてたから、それでお父さんが
 フレッドたちを連れて行ったんだ、ぼくのせいだから!」
「なぜ知って…」
「だからおとうさんをつれて行かないで……っ」

アーサーは、ポロポロと瞳から雫を溢した。
ヘルマンは驚いて、息子の表情を見た。

「おかあさんももどってきてほしいけど……でもお父さんがいなくなるのはいやだ……
 お父さんがいなくなっちゃうのはもっといやだよ……っだからレオおじさん、
 ゆるしてください……っ、おとうさんをゆるしてっ、おね、がいです……」
「……アーサー……っ、何故君が謝るんだ、何故…」
「ゆるしてくださいっ、おとうさんは、わるくないです…」

必死にレオの服の裾をつかみ懇願する彼を見たヘルマンは、
ゆっくりとその小さな身体を抱きしめた。

あまりにも小さなその身体を震わせながら必死に謝る息子を強く抱きしめ、
その憎しみでこみあげていた涙は、いつしか慈しみの涙へと変わっていた。

「ごめんね………ごめん、」
「お父さん………?」
「アーサー……お父さんが、お父さんが悪いんだアーサー」
「お父さん……」
「ごめんね………一人にさせてしまったのは、私だ……」
「お父さんは悪くないよ、お母さんも知ってるよ」
「アーサー……」

「私は貴方が言うように、逃げていました」

静かにレオは、倒れこんだまま初めて口を開いた。

「レオさん……」
「失ったものは……戻りませんよ。どこへ行ったって」
「…………」
「でも私たちは……進まなければいけないんです」

「………彼らが守り抜いた希望を消してはいけません、ヘルマンさん」

それは、正義であり、身分を隠さず生きる誇りであり、
彼らが残した子供である事を。

「………っ」
「お父さん……?」

ヘルマンは静かにアーサーの肩に顔をうずめたままより一層強く抱きしめた。



「………」

その光景をすこし遠くで見ていたリエナが、力なく小屋の壁によりかかった。

「だ、大丈夫ですかリエナさん!」
「ロズ……パンが…欲しい……」
「飢えで倒れたんですかリエナさんっ」
「帰ったら二度と見たくないほど食べさせてあげるよ」

『……、あははっ』

3人も腰掛けながらやっと素直に笑う事が出来たのだった。
こうして、この長い一日は、事件はようやく終わりを迎えた。

少なくとも、そこにいたロズベルトとレオはそう思っていた。
雪はまだ、静かに降り続いていた。




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