ひらひらと白い雪が降る季節だった。
雪は音もなく、しんしんとただ静かにこの町に降り積もってゆく。
がしかし、そんな雰囲気をぶち破るように、突然ドアを大きく閉める音が周りに響き渡った。
「もう、信じられない!!」
音を出した張本人は、長い黒髪を揺らしながらふんと鼻を鳴らしている。
たった今買ったパンを口に放り込むが、彼女の不満が収まることはない。
どうやら、町一番優しいと評判のパン屋のおばあさんでさえも、彼女の機嫌を戻す事は出来なかったらしい。
「せっかく記事のスペースが空いたって聞いたからやる気になったのに……」
彼女は次々とクロワッサンを呑みこみながら、10分前に鳴った電話のやり取りを思い出していた。
「え、中止?」
「そーなんだよ、悪いね」
相手は彼女が務めているロンドンの新聞会社の上司だ。
受話器の後ろからも都会らしい慌ただしい音が聞こえてくる。
「え、でも今週はまったくネタがないって言ってたじゃないですかっ」
「それは昨日までの話だろ?今さっきビッグなニュースが舞い込んでね、
明日の新聞は全部その記事にするって上からの連絡だよ」
「そんな!」
「君も文の才はあるんだから、子供の話題なんかより
早く社会の発展に目を向けろって事だな」
「なんかってなんですか、その発展のせいで今子供たちは」
「あ、また例の事件の新情報が来たらしい!切るぞ」
「えっちょ、待―――」
「くっそーっ、ないがしろにして。経済が発展して何になるっていうのよー!上司のバカー!ロンドンのバカー!」
彼女は真っ白な空に向かって精一杯叫んだが、返ってくるのは冷たい雪だけ。
「…いいわよもう、学校へ行って次の記事でも探すわ」
やっと落ち着いたのか、彼女は近くに止めていた自転車にまたがった。
「子供たちの笑顔さえあれば、何とかなるものね」
「はい、もう大丈夫ですよ。薬を欠かさず飲めば、三日以内には良くなります」
「いつも悪いわねぇ」
場所は変わって、先ほど彼女が不満を叫んだ都会の街、ロンドン。
窓から見える夕日とビッグベンを背に、一人の男性が診察を終え立ちあがった。
男は見るからに急ぎ足で、患者の執事が持ってきた黒のロングコートを受け取り支度をする。
「あら、もう次の患者さんの所へ?」
「いえ、今日の診察は貴方が最後です」
男はコートを翻し、医療用具をカバンに丁寧に、かつ迅速にしまいこむ。
「ならどちらへ行かれるのですか?」
「ノースゲートへ行くのですよ。あんな場所まで行ってくれる列車は多くないのでね、では。ちゃんとお薬は飲んで下さいね?」
彼は銀縁の眼鏡をかけなおして、ドアノブに手をかけようとした。
「お待ちになってロズベルトさん!」
今度はどんな小さな病気を告げるつもりだ、と心の中で思いながら彼は振り返ったが、
意外にも彼女の表情はとても険しかったので、ロズベルトは驚いた。
「ノースゲートへ、行かれるのですか?」
「えぇ週末は欠かさず。ですが何か」
「まだお聞きになっていないの?今日のニュースを」
「……と、いいますと?」
「♪~♪」
場所は戻ってノースゲートのとある一角。
警察署とは名ばかりの小さな家の中で、一人の男が呑気に鼻歌を歌っていた。
「今日の報告、っと。何もなし、以上!」
誇り気をたっぷり含んだ声で報告書に書き込む。
ボサボサの栗色の髪が夕日に照らされて赤色に染まっていた。
「♪~♪」
部屋にある長テーブルに組んでいる両足を置き、黒い椅子をガタンと揺りかごのように揺らす。
ふと、胸ポケットから彼は銀の懐中時計を取り出した。
「あと、1分か」
そして丁寧に元の場所へと戻し、瞳を閉じた。
小さな町、ノースゲート。静かすぎて何て素敵な町なんだ!
あと30秒、20秒、10秒……
男が椅子から立ち上がった時だった。
「ジリリリリリリリッ」
目の前にあった鳴るはずの無い(いや電話としては機能はしているのだが)
黒電話が、沈黙を破るようにけたたましく鳴ったのだった。
「………」
電話が鳴り響く中、男は推測した。
これはきっと嫌な事件だ、と。
「ガチャッ」
受話器を取るや否や、今度はドアが大きく開かれた。
入ってきたのは、紅色のジャケットを着たこれまた派手な青年だった。
彼は意気揚々と敬礼のポーズをとった。
「お邪魔します、レオ刑事!!」
男は確信した。
これは絶対嫌な事件だ、と。