「この事を話すのは躊躇ったのだがね。しかし君しか他にいなくてな」
一番聞きたくない声が受話器から聞こえる。いや、言い方が悪かった。
【話している相手】は自身の事を理解してくれているとてもいい人だ。
彼は都会(あそこ)の警察署の上司だ。俺が聞きたくないって言ったのは、彼がこのタイミングで
電話してくるという事は、つまり俺の推測通り、 まずい事件が絡んでいるという事だ。
それが嫌だったっていう意味。
「ノースゲートに住む子供たちが、最近になって失踪しているとの情報だ」
「そりゃあ初耳ですね」
「君の管轄だろう。まさか、仕事をさぼっているわけではなかろうね?」
「……すみませんちょっとノイズが入って聞こえませんでした」
「…まぁいい。被害届が出たのがロンドン支局(こっち)だったのだから。
現時点で消えた子供は3人」
「わざわざそちらの警察署に被害届が?どれだけここの警察が頼りないんですか」
「君の事だよレオ刑事」
「で、そちらに来たのだったらあなたが担当して下さいよ」
「話は終わってないぞ」
と、上司は少し間を開けた後、静かに話した。
「誰が情報を流したのかは知らないが、この失踪事件と例の、10年前の事件が似ていると誰かが報道陣にばらしてだな。
明日じゃ どこの新聞もあの事件の再発だって全面に載るらしい」
「で、下手に動けないと」
「行きたくとも、次のノースゲート行きの列車が3日後だからな。残念ながら行ってやれん」
「本当に残念だと思っているんですか先輩…」
「そういう事だ。上の奴らは、迅速に、かつ静かに事態の収集をしてくれることを望んでいる」
結局あそこの連中は何もしてくれないんだな、と髪を掻いて溜息をつく。
「…なるほど、わかりましたよ。こりゃあ明日から毎日娘にパンケーキを作らなきゃ殺されるな」
そして、静かに受話器を置いた。
「で。君は誰なの?」
「はい!インターポールから来た新米警官です!」
「自分でいうそれ」
レオ刑事と呼ばれる人は、とても迷惑そうにこちらを見ておりました。
「誰と言われたので名乗ったまでなのですが…」
「もういい、帰っていいぞ」
そういって、手をひらひらとするレオ刑事。ちょっと待ってくださいよ
地図なしでここまで来るのにいったい何時間かかったと思っているんですか!?
「な、何故ですか!」
「で、なんでお隣のお偉い人がこんな田舎に来るんだい?」
「そりゃロンドンのお偉い人たちを蹴落としたいからでしょうね」
急に背後から声がしたと振り返ってみれば、そこには黒いロングコートを着た眼鏡の男性が静かに笑って立っていました。
僕としたことが…でも、ドアを開ける音も何も聞こえなかったのに、この人は一体……?
「つまり?」
視線だけ今訪れたロズベルトに向けながら、レオは片手を顎に当てて思案する様子だった。
「十年前の事件の犯人が未だに捕まらず、再び子供たちがいなくなったこの状況を盛り上げたいだけだよ」
ロズベルトは、困った困ったと両手を広げながら続ける。
「ほら最近、我が国は経済を成長させすぎて敵を作ってしまったらしい」
「なるほどね…」
レオはまた深いため息をついた。
「あの…10年前の事件と言いますのは?私もかなり幼かったので…」
「レオ、どうするつもりだい?」
「どうするもなにも、実際ここの子供たちが消えているんだ。嫌でも仕事しなければいけないでしょ」
「無視ですか!?」
レオは椅子に掛けてあった皺だらけのベージュ色のコートを羽織り、窓に近づく。
「でも今日はもう遅い。こんな暗い雪道で滑って死んだらシャレにならないからね。捜査は明日からだ。
今から温かい夜ご飯を作らないと。また娘に殺され――」
「まだあの薄着なのかい!?いい加減コートの一つや二つ買ったらどうなのかな」
「買っても着ようとしない。あれが彼女のポリシーなんだ。さ、帰るぞ」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください刑事!」
あからさまに無視をされていた青年が、あわてて踵を返した二人を呼び止める。
「なんだい君は。いつからいたのかな?」
「貴方より前にはいましたよ!あの、初めまして僕の名前はクローヴェルと言います」
「ふーん」
クローヴェルは笑って手を伸ばしたが、ロズベルトは特に興味がないといった顔をしながら一応握手をした。
「…?」
「どうかしたんですか?ロズベルトさん」
「…いや。レオの言った通り今日は寒い夜だから君も早く帰りなさい」
「あ、その事で!」
クローヴェルは申し訳なさそうな表情で二人を見上げた。
「…あのその、僕、今日泊まる宿をまだ見つけていないのですが……」
「「………………」」
「どういう事なの、お父さん」
「いや、その男の人が泊まる場所がないって言うから仕方なく」
「違うわよ」
温かい木造の家に、暖炉の灯りとスープの香りはしているにもかかわらず、空気は外の気温よりもどことなく寒い。
「これ、本当美味しいですね。レオ刑事、おかわりください!」
「うん、君は遠慮を覚えようか新米」
空気をあえて読んでいないのか、そもそも読めないのか。隣の国から来たというその新米警察官は
早速スープを平らげてお皿をレオに差し出していた。
バチバチと、部屋の隅では暖炉が炎をあげて何とか空気を和らげようとしている。ふとクローヴェルは家の周りを見渡した。
炎に揺られて、壁にかけてあったリエナの小さい写真や花瓶に生けられた赤い薔薇が美しく映りだされていた。
「……(あれ)」
だが、そこに彼女のお母さんの写真が無い事に気づいた。
いや、暖炉の上に置かれている写真に母親らしい女性は映っていたがそれ以外では全く見つからない。
「……(複雑な家庭環境なのかな)」
クローヴェルはそう片付けてまたリエナ達の方に顔を戻した。
一方リエナは朝よりもずっと眉間にしわを寄せてレオを問い詰めていた。
スープはしっかりいただきながら。
「今日せっかくの仕事がキャンセルになるし、仕方なく小学校へ行ってみれば皆早くに集団下校したって校長から聞かされるし、
お父さんが定時(いつも)より遅く帰ってくるしロズ来るし不吉な事ばっかりじゃない!ロズ来るし!」
「…ん?ごめん、もう一回聞かせてくれるかな?」
ロズベルトはすかさず笑いながら手の動きを止めた。
「何があったの?」
レオは新米のお皿を受け取り、鍋のある方へくるりと方向を変えながら話す。
「理恵奈には関係のない事だよ」
「そう言っている時が一番怪しいの。子供たちと何か関係があるのなら正直に言って」
「………」
「いや、本当に君には関係のな「子供たちが消えているらしいですよ」」
「え…?」
せっかくロズベルトが助け舟を出したのに、料理を待っていた新米の青年が口を開いた。
途端に、今まで冷たかった空気が更に寒く、そして静かになった。
「さっき聞いたところだと、10年前にロンドンで起こった事件の再発だって
街中ではすごい話題になっているそうです。で、その再発した舞台がここなんです」
「君、どうしてそういう事言うのかな」
リエナを挟んで隣に座っているロズベルトの笑顔はますます深まるばかりだ。
しかし、やはり何も感じ取っていないのか。青年は笑顔で話し続けた。
「情報公開法です。この町に住んでいる人には、この町で起こっている事件を
知る必要があります。それが次に起こる事件の抑制や予防にもつながりますし」
「なるほど。君の国ではそうでも 私 の国では秘密保護法があるんだ。
秘密にすることで相手を守れることだってあるんだよ?」
「流石石のようにかったい国ですね!」
「…それは、褒めているのかな?」
「ロズ、やめなさい。ほら新米、おかわりだぞ」
「ありがとうございますレオ刑事!」
「そうよ。私は本気で知りたかったんだから今回は貴方の方が悪いわロズ。お父さんもね」
お皿をテーブルに持ってきたレオに対し、リエナは鋭い視線を向けた。
レオは今日何度目かのため息をついたあと、ゆっくりとリエナへ顔を向ける。
「…理恵奈、わかっていると思うけど」
「私も捜査に加わるわ」
「わかってくれなかったか」
「君は危険だ、」
ロズベルトもすかさず前かがみになってリエナの表情を伺うが、彼女の瞳に曇りは無い。
「子供たちはもっと危険に晒されているのかもしれないのよ?こんな雪の日に…
それに、ここの子供たちの事だったら私が一番よく知っているし」
「それは頼もしいですね!それに、彼女の美しさなら誰でも口を開いてくれるでしょうし!」
「君は早く帰りなさい今すぐに!」
「残念ながら次のロンドン行の列車は3日後ですロズさん」
水と油のような関係なのか、どうやらロズベルトとクローヴェルの仲は良くならないようだ。
リエナはもう一度、ゆっくりと言った。
「…お父さん?」
しばらくの沈黙が続いた。
レオの胸ポケットから鳴り響く、懐中時計の針の音だけが聞こえてきた。
やがて、諦めるように、肩を落としながら彼は力なく笑った。
「…わかったよ。助手は多い方が良いというからね」
「ありがとうお父さん!」
途端にリエナの表情はパッと明るくなり、立ちあがってレオを抱きしめる。
どこからか二人分の羨ましそうな視線を感じた気がした。
「今日の夜ご飯もとても美味しかったわ。それじゃあ、明日は早いから先に寝るね。
おやすみなさいお父さん。また朝あったかいパンケーキをよろしくね!」
「はいはい……おやすみ」
今にもスキップをしような勢いで彼女は席を外し、部屋がある2階へ階段を上り始めた。
「パジャマぐらい長袖にしなさい」
「はいはーい」
「あ、おやすみなさい…」
二人分のおやすみを聞いたのち、やがて上から扉の閉まる音が聞こえる。
「俺たちも、明日に備えて早く寝るぞ」
レオは、全員分のお皿をまとめ洗い場へと立ち去って行った。
「あ…まだおかわりしようと思っていたのに……」
「君ねぇ」
「でも、レオ刑事。やはり娘さんには弱いんですね」
ロズベルトは一瞬何かを考えた様子だったが、微笑んで返した。
「何よりも、大切な人だからね」
「ふーん……」